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有機農業運動の魅力編
「1970年代に一つのムーブメントが始まった!」


有機農業運動は、1971年 機械化・効率・利益重視&規格化された近代農業によってもたらされた食品公害、農薬汚染、環境汚染などに対して、危機感を持つ生産者・研究者・医者・消費者が集まり「日本有機農業研究会」を設立した時から始まったとされる。有機農業運動は、単なる無農薬・無化学肥料への農法の転換に終わるのではなく、総体的な社会システムの変革の意味を含んでいた。
有機農業運動の目指すものは、
@安全で質の良い食べ物の生産、
A環境を守る。
B自然との共生 
C地域自給と循環、
D地力の維持・培養、
E生物の多様性を守る。
F健全な飼養 
G人権と公正な労働の保証 
H生産者と消費者の提携 
I農の価値を広め、生命尊重の社会を築く  
(以上 日本有機農業研究会HP  より抜粋)

とされている。

<有機農業運動の生まれた背景>

 戦後から1970年にかけて、日本では経済発展のため、食糧の増産が第一とされていました。政策として、単品種大量生産&規格された広域流通が掲げられ、機械化、農薬・化学肥料を使った効率・収量重視の近代農業が進められてきました。近代農業は、農業を農薬、機械に依存したものに変えていく事によって、数々の被害を生みました。

(例) 
・4大公害に代表される環境汚染 
・森永砒素問題・PCBによる食品公害 
・豆腐の保存料AF2による食品添加物問題
・農薬による健康被害や農薬工場近辺の農薬汚染の被害
・石油ショックにより身近となった資源や化石燃料の大量消費



当時の様子を、私達 20代〜30代の若者は実際に体験した訳ではありませんが、農薬や化学物質による被害は、人々に相当な不安を与えていたようです。そのことは『複合汚染』(1975年 有吉佐和子著 新潮社)


を読むとよく分かります。『複合汚染』の中に、著者と有機農業運動の中心人物の一人である梁瀬義亮という医師(次々と農民が体の不調の診療のために農村に訪れる内に、農薬による疾患に気付く。)との対話が掲載されているのですが、その対話は当時の様子をよく表しています。

〜農民が神経系の疾患に冒されている事についての会話〜
 
著:
「あのお、おかしいというのは、たとえば」
梁:
「まず無気力になり、生きるのが嫌になってしまうのです。」
著:
「ああ、農薬に自殺願望を強める傾向があるというのはそのことですね。」
梁:
「はい、随分死にました。このあたりでも一家全滅した例がいくつもありますから、全国的には大変な数にな っているでしょう。」
著:
「ホリドールで事故死や自殺をした数は、データがありますが1年に5百人近くも自殺していますね。」
梁:
「それはホリドールを飲んで自殺した数でしょう?」
著:
「そうです。」
梁:
「実際は、その10倍も多いですよ。自殺として届けていない家がほとんどですからね。〜略〜。」

主人が胃病で毎日不機嫌だ。酒ばかり飲んで暮らすようになる。主婦は自律神経失調症になった。息子はノイローゼで井戸に飛び込む。お爺さんが首を吊った。こうして一家が全滅した例を梁瀬先生は怒りを抑えるようにして幾つも話してくださった。

著:
「すべてホリドールですか?」
梁:
「いや、今使われている農薬のほとんどが長く多用すれば同じ事です。ホリドール以外の有機リン剤は禁止されていませんからね。本当にどうしてこんな状態を野放しにしているの
か、私にはまったく理解できません。」

(以上 『複合汚染』p291〜293より)

〜著者がいかに梁瀬医師の診療をうける農家が多かったのかを語る部分〜

もう10年(1974年の)も前から、梁瀬医院の前には朝の4時から診療の順を待つ人が詰め掛けている。〜中略〜 先生の診療はおそろしく丁寧である。時間がかかる。一人一人の食生活について症状の起こり出した時期をさかのぼって聞くのだから大変だ。食事の時間も惜しんで夜の11時になっても患者さんが残っている。
(以上 『複合汚染』p305〜306より)


そのような時代の中で、1971年、当時協同組合研究所理事長であった一楽照雄を中心に近代農業に疑問を抱く学者や医師、農家達が集り「日本有機農業研究会」も結成されました。この研究会の設立により、全国に点在していた志しを同じくする人々が集ってきました。
また「農薬汚染や薬漬け近代畜産などで食べ物の安全性に疑問持った消費者」と「政府の指導してきた近代農業では農民も農村も決して豊かで健康な生活が送れないと感じた農家との出会い」によって、産直&共同購入方式による消費者と生産者の提携運動が始まりました。
この深刻な時代背景を見れば分かるように、有機農業運動は単に、無農薬、無化学肥料という農法への転換だけではなく、単一作物の大量生産や外観・均一性を重視し、旬を無視した広域流通システムの変革も視野にいれた社会運動として発展していきました。社会全体を変えていく事を視野に入れていたのです。


最後に、2004年4月「有機農業の事典」新装版の刊行にあたって日本有機農業研究会理事長佐藤喜作さんの寄せられた文章を引用させていただきます。有機農業運動の理念がわかりやすく説明されています。

「新装版の刊行にあたって。」

本書が刊行されて、もう二〇年になろうとしている。すでに二昔前にもなるが、 今読んでもきわめて新鮮な内容であるのは、有機農業をあるべき社会を示唆する総合的な理念や原理として打ち出しているからである。農業技術についてもその拠って立つ原理を示しているばかりでなく、有機農業を単に農業者のものだけでなく、消費者――都市生活者、市民のものとして広がりをもって捉えている点でも、ゆるぎない基本を示している。

本書の初版は、日本有機農業研究会の結成(一九七一年)から一四年を経た一九八五年に刊行された。ちょうど、日本の有機農業運動の発展の基礎が気づかれた時期であり、本書は、その経験と知恵をその時点で集大成した正に古典というにふさわしい書といえよう。

有機農業の今も変わらぬ考え方の基盤は、本署の随所に出てくる「自給」と生活者と消費者の「提携」であろう。自給も提携も、“どう食するか”から始まる。自分が、そして家族がどのように食べるか。有機農業では、まず、農家が自分自身や家族の食べ物を自給することから始まる。肥料や農薬を他から買って農地に入れるのではなく、農地とその周辺から出るものを土に返していく自給で循環する農が基本である。今日でこそ、このような農業は、有機農業や環境保全型農業、地域循環型農業といわれているが、日本では長い年月のあいだ、郷土や豊かな降雨や日照、四季や気象を生かして、そうした農業が、あたりまえの姿として発展してきた。そのなかで、本当に多様なしばらしい数多くの作物がつくられ、工夫されてさまざまな料理となって、祭り日や日常の食卓に上っていたのである。有機農業は、そうした農と食との伝統を今日の英知で現代の社会や暮らしに生かしていく実践哲学ともいえる。
 
今、世はまさにグローバル化時代、WTO(世界貿易機関)が食までも市場開放を推進し、我々の口に入る多くの食品は、遠く地球の裏側から運ばれるようになってしまった。食べ物は、土から離れず、食べる口に近いほど、時間も短いほどよい。生産者と消費者の「顔のみえる関係」が提唱されたのも、じつは、有機農業運動においてであった。売り買いの関係でなく友好的な相互扶助の精神でじかに受け渡す「提携」が提唱されたのは、本書に示されているように、一九七八年である(「提携の一〇原則」二六六頁)。小規模な家族農業、田品目少量生産の栽培方法、多くの微生物と無視や鳥獣と共存する生物多様性こそが安定性をもたらすが、それは消費者(都市生活者)と結びついたときにいっそうの潜在能力を発揮する。

提携は、日本だけでなく、WTOのグローバル経済化に対抗するもう一つの道として、アメリカでもヨーロッパでもCSA(地域で支える農業)運動などとして広がりをみせている。各国、各地域が農においても食においても、暮らしでも、画一化の機器に気づかねばならい。その国、地域風土に適合した自給と都市生活者を巻き込んだ提携が自立への道である。それは平和の基礎ともなろう。そして、それを実現させるのは、多くの人たちの意思による。本書がその力になることを願ってやまない。本書の執筆者の中には、物故された方が多くおられる。この本が多くの人に読まれ、有機農業運動が発展していくことが何よりの供養になるであろう。

二〇〇四年四月
日本有機農業研究会 理事長 佐藤喜作


(参考)
日本有機農業研究会
・「有機食品Q&A」岩波ブックレット  久保田 裕子
・「有機農業の事典」三省堂  天野 慶之、高松 修、多辺田 政弘 編集 
・「複合汚染」   新潮社  有吉 佐和子


   

 

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