ホーム >エコ就職の体験談
最終更新日

キーワードを入力




エコ就職ナビを一緒に創っていきませんか?


  〜アジアを歩き、日本を変える〜
 
 NGOで働くってどういうこと? NGOの仕事と一言で言っても、十人十色。まずは、実際にNGOで活躍する方々にお話を伺ってみよう! というのがこの企画の主旨。今回は北海道を拠点に活動される越田さんにお話を伺ってきた。

越田 清和さん】
北海道札幌市在住。さっぽろ自由学校「遊」スタッフ。アジア太平洋資料センター(PARC)理事。雑誌『インパクション』編集委員。大学時代から北海道で市民運動に関わり始め、フィリピンでの先住民族支援、日本でのPARC勤務を経て、現在は北海道を拠点に、様々な市民活動に関わっている。


 
 
 

■越田さんのお仕事

 越田さんは、冗談とお酒の好きな楽しい方だ。でも同時に、世の中の様々な社会的不公正に対して解決策を考え、行動することを怠らない、厳しい方でもある。彼のテーマは、先住民族・在日外国人の権利問題、ODA(政府開発援助)問題、WTO(世界貿易機関)の問題と幅広い。テーマを貫くのは、「アジアと日本」という視点だ。東京、北海道と場所は変わっても、政策提言に取り組むと同時に、文章や講演で市民に伝えることに取り組む活動のスタイルは変わらない

■北海道からフィリピンへ

 越田さんは大学院までを北海道で過ごす。大学卒業後、アルバイトをしながら、日韓連帯の市民運動に関わり始める。その頃、仲間と共同生活をしながら、共同で学習塾を立ち上げた。その学習塾「ユウ」は、今のさっぽろ自由学校「遊」に引き継がれている。朝まで議論することもよくあったその頃の仲間とは、今も札幌で共に市民運動に取り組んでいる。

 1989年、北海道で大きな先住民族会議が開かれることになった。越田さんは会議への参加を通 じて、国外にも目が行くようになり、会議で一番刺激を受けたフィリピンを訪問することを決めた。どこにも所属していなかったけど、なぜか不安は全く無かったという。そして、フィリピンでの経験は、越田さんに大きな変化をもたらした。

 「ライフスタイル、価値観が変わった。フィリピン独特のいい加減さ、真面 目だけど、一生懸命じゃないところ。いい意味で力を抜く。すごく張り詰めた空気の中で、冗談を言って、周囲の雰囲気を和ませること。そういうことって、とても大切なことだと思うんだよ」

 越田さんの、鋭いのに柔らかい、不思議な空気は、フィリピンで育まれたものでもあるようだ。

■現場から見えてくること

 帰国後、先住民会議などを通 してつながりのあったPARCに、スタッフとして関わることになる。PARCでは、同団体が発行している雑誌『AMPO』や『オルタ』の編集を経験した後、事務局長に就任。ODA改革、社会開発サミット、東ティモールでのプロジェクトなど、様々なプロジェクトに関わった後、惜しまれながらも札幌に戻り、現在に至る。

 「これからも場所はどこであれ、自分たちの社会を創ろうとしている人たちと、つながっていきたい」という越田さん。「何より現場が好き。机で得られる情報よりも、現場でわかることを大切にしたい」という。今も、カンボジア、フィリピン、タイと、いろいろな現場を歩く。

 確固とした信念を持って、アクティブに活動を続けながらも、常に自然体。ときに楽しそうに活動を続けるその秘訣は、現場を愛する気持ちなのかもしれない。

*PARC自由学校というのは、PARC(アジア太平洋資料センター)が運営する、オルタナティブな(今とは違う、もうひとつの)社会を考える市民のための学校。アジア太平洋資料センター(PARC)http://www.parc-jp.org/を参照。

■リンク
さっぽろ自由学校「遊」http://i-cis.com/syu/

■聞き手 もん 2003年7月28日、北海道を走るバス上にて

※この記事は『種まき』に以前掲載された「てんこの転機」を一部参考に構成しています。