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公共性なきマスメディア

国民のためのメディアと広告主のためのメディア

日本、そして世界のマスメディアは、かつてない危機的状況にある。インターネットの普及、オルタナティブメディアの台頭、広告ビジネスモデルの変質、そして世界的な経済危機。2007年のメディアの広告費は新聞・テレビ・雑誌・ラジオの4大媒体が全体で前年比2.6%減の3年連続減となった。一方でインターネット広告は24.4%増加している。大衆向け広告媒体として長くその地位を保ってきた新聞社もテレビ局も、生き残りをかけて紙面づくり・番組づくりに知恵を絞っている。しかしそこには、「メディアとは、一体何なのか?」という本質的な問いが欠如している。そもそもメディアとは、誰のため、何のために存在すべきなのか、テレビメディアを軸に改めて考えてみたい。

放送法第一条

放送法第一条では原則として「放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること」「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」「放送に携わる者の職責を明らかにすることによって、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること」を定めている。本来、放送メディアは、「公共の福祉に適合するように規律され、その健全な発達を図ること」、つまり儲けるためではなく、社会の情報循環を担う公的機能を果たすために存在しており、そのために有限の公共資源である電波を占有し、放送を業務として行うことを認められているのである。しかし現実はどうか。

広告、説明責任、パブリックアクセス

まず第一に、日本のマスメディアは誰のためのメディアか、分からなくなっている。07年の日本の広告宣伝費の上位10社(表1)を見てみると、4社が自動車メーカーであり、家電メーカー、化学メーカー、通信、小売、飲料メーカーなどが名を連ねている。広告主の資金源はもちろん私たちの購入代金である。視聴者が楽しむ無料の放送は広告主という顧客のための商品であり、その価格は視聴率と広告需要の関係によって決まるのである。テレビ会社の顧客とは、契約上は広告主であって視聴者ではない

(表1)広告宣伝費上位10社(2007年度)
週刊ダイヤモンド2008年12月8日号
企業名 金額(単位:億円)
トヨタ自動車 1083
パナソニック 924
ホンダ 913
花王 577
三菱自動車 487
KDDI 451
イトーヨーカ堂 442
サントリー 416
シャープ 412
日産自動車 396

第二に、「報道基準」や「広告基準」に関する説明責任(アカウンタビリティー)が欠けていることが挙げられる。どれだけ取材のために現場に足を運び、背景分析を行い、多様な立場の意見を調査したのか。編集の段階で政党や株主、そして広告主の圧力を受けていないか。取材対象との約束を反故にしていないか。視聴率を上げるために、過剰な演出やねつ造を行っていないか。報道番組が放送されるまでのプロセスにおいては、あらゆる情報が非公開なのが現状である。
さらに、広告のスポンサーになることができる基準に関する情報も公開されているとは言い難く、実際にどれだけの額をどの企業から受けているかという情報も非公開である。「原生林の破壊に加担している」とか「悪質な派遣切りを行っている」とNGOから批判されている商社やメーカーであっても、広告費さえ支払えばスポンサーとなれる。

第三に、メディアの本業である報道業務において、地域の社会的弱者が必要とするニュースを届けるためのビジョンと取り組みの不十分さがある。これは国際的な報道についても言える。多くの国では、「市民がメディアを使い情報発信ができる権利」を保障するため、「パブリックアクセス法」が定められている。国によって事情は異なるが、たとえばケーブルテレビが成熟している米国では、視聴料の5%を、市民が制作した番組を放映するために使うことが法律で定められており、1000を超えるパブリックアクセス・チャンネルが放送されている。ナチスドイツによるメディアプロパガンダを経験したドイツでは、国家で定められた放送法ではなく、州ごとに独自にルールを定めていて、例えば原子力発電所の多いライン川周辺の地域では、市民が反原発の放送をし続け、脱原発政策を生み出す大きな力となったと言われている。パブリックアクセス法は日本では確立されておらず、マスメディアの権限が強くなることに歯止めがかからない。

まとめ

今の日本のメディアを表すと、次のようになる。「放送が国民ではなく広告主に最大限サービスを提供し」「不偏不党、真実及び自律についての説明責任の欠如を抱えた表現の自由を行使し」「健全な民主主義に資する制度も予算も持ち得ていない」まま、「公共の福祉に適合するように規律され、その健全な発達を図ること」もできず、世界的な経済危機の中、必死に生き残る道を探す、他の多くの企業と同等の存在がマスメディアなのである

【コラム】マスメディアと六ケ所村核燃料再処理工場

テレビは最も安価な娯楽のひとつ。365日、無料で様々な番組が視聴できる。その制作資金の大半は広告収入であり、番組づくりは広告主の意向抜きにはありえない。メディアは意図的に番組を通して「伝えることと伝えないこと」を選別せざるを得ない。広告を出すか出さないかは広告主の自由選択である。視聴者は番組に対して料金を払わない以上、メディアが情報を選別することに視聴者は口をはさめないのが「資本主義」というもの。メディア自身が「国益・企業益を損なう恐れがある」と判断すれば、「伝えない」ニュースが生まれる。(伝えるべきニュースが生まれない?)
ニュースステーションで久米宏氏が青森県六ケ所村にある核燃料再処理工場の問題を3夜連続で報道しようとしたとき、そのような意図が働いて、初日で放送が打ち切られたとか。再処理工場の問題について、詳しくはドキュメンタリー映画「六ケ所村ラプソディー」をご覧あれ。