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Johannesburg Summit 2002  

なぜ企業に注目するか?

 企業活動が環境や社会に対し非常に大きな影響を持っていることには異論がないだろう。企業活動を変革させることなく世界を持続可能なものに転換させることはありえない。しかし、別のページでCEOのキャンペナーであるオリビエ・フリーデマン氏が指摘しているように、年々国連など国際機関への多国籍企業からの圧力は高まっており、変革しなければならない方向とは逆行しているのが実状である。

犠牲を生みやすい形態

 企業、特に株式会社という組織形態は、経済活動のための資金を集め、事業を拡大するには非常に優れた形態ではあるが、一方で環境の保全や就労者の権利確保、事業により発生した被害者への補償には配慮がされにくい形態である。株式会社は、営利を追求し株主に利益を配当する目的のための組織であり、元来企業は環境の保全義務や修復義務を負っているわけではない。

 企業が事業活動によって引き起こす環境破壊などマイナス面を抑えるには経営者の倫理観や社会的な雰囲気によっているのが現実であり、厳密な抑制力がないのである。したがって、企業は法に抵触さえしなければ原則的には何をやっても構わない。元々犠牲を生みやすい組織形態であるのだ。

 現在、企業活動が肥大し、世界の経済活動の大半を占めている。前述の企業の特性からして、引き起こされる問題が拡大するのは当然とも言える。

市場の問題は市場では解決できないのだ

 例え企業が破壊的行為を行っていてもその企業を淘汰することは一筋縄ではいかない。淘汰する方法は3つ。購買ボイコットにより市場で淘汰されるか、株主から見放され株価が下落し資産価値を落とすか、そして法規制により活動を抑えるか、この3つしかない。これらの中で、拘束力を持つ手段は法規制以外にはないのだが、通常企業はこれを極端に嫌う。市場の有効性を完全に否定するものではないが、市場には事業によって破壊した環境の修復義務などの価格を押し上げる要素は反映されにくく欠点も多い。

 「企業は市場によって選ばれているから存続できているのだ」と、「企業は既に篩にかけられているのでこれ以上の拘束は必要ない」との意見をよく聞く。しかし、膨大な広告宣伝費をかけてプラスイメージを作り、逆にイメージをダウンさせるような情報は隠避されているのが現実なのだから真に"選ばれた存在"とは言い難い。

 大企業が関係した疑獄事件は枚挙に遑がないが、そのことから分かるように、圧倒的に権力、資金力を持つ者たちが結託して政治経済を牛耳っているのであるから、その不正や引き起こす問題を正そうとする私たちは元々不利な立場に立たされているのである。そして近年、特に欧米の多国籍企業においてメディアを使ったプラスイメージ作りは巧妙かつ戦略的になってきている。今後、よりシビアな目で企業活動を注視しなければならないだろう。

 企業という形態および市場が内在させている問題の是正は、自発性に任せておいてはまず進むことはない。

常に拡大を求められる中に身を置くと

 先進国を先進国足らしめた要因のひとつに、多国籍企業による資本の集約と事業の拡大をシスティマティックに成し遂げることができたからだ、という指摘が可能だと思う。大企業に有利な社会システムが、人的・物的資源を大企業に集中させている。

 就労者の立場から見ると、安定した就労を確保するには大企業に就職せざるをえない現状がある。教育の体系も、大企業に就職することを目的としたような流れになっているため、そのレールに乗るのが当たり前になってしまい、大企業が内在させている問題や経済システムの矛盾に気付くことは一般的に非常に難しい。就職して組織の一人となってしまえばなおのことである。

 利益の拡大を至上とする競争に常に身を置かなければならなくなると、自分の行為が生み出す問題にはなかなか思いが至らなくなってしまう。私たちA SEED JAPANが指摘するような、構造的な視点から問題を捉えることは非常にまれになってしまう。

単に多国籍企業に反対するのではなく

 私自身が以前は企業の技術者だったことから、物の見方の違いを以上のように強く感じている。被害を受けている側から見た方が問題の全貌は見えやすいが、利益を求めている側からだけ見ていると、どうしても犠牲にしているものに対し目を伏せ、メリットを強調したくなってしまう。犠牲にされている側からの指摘と分析をしっかり相手側に伝えなければならない。

 ここで、多国籍企業に対しての単なる反対運動を起こそうというものではない、ということははっきりと謳っておきたい。多国籍企業を批判するだけのキャンペーンを起こしたとしても、現在私たちの生活には多国籍企業からの生産物、サービスが浸透しており、実効性を持たないだろう。しかし、現在の多国籍企業優先の仕組みがさまざまな問題を生んでいるのは事実であり、放置することができないので是正の方向を提示していこう、というものである。

企業が変われば家庭も変わる

環境問題を生み出す原因は単に多国籍企業にあるとは言えず、私たちが当たり前に行っている日常の行為が原因になっている面も大きい。企業を拘束するよりも一般市民の意識改革を促す方が難しいと言えるかも知れない。

企業が変革すれば、一般生活にも影響を与えると思われる。企業で環境負荷の低減が全社方針で決まれば、従業員は必然的に環境負荷を下げる行動を取らなければならなくなる。家庭ではまったくゴミの分別や省エネルギーに無頓着であっても、会社では非常に細かなルールに従わなければならなくなる。廃棄物を再資源化するには細かな分別が必要なことをここで初めて体験する人も少なくないだろう。また、本格的に環境負荷を下げて競争力をつけるためには、単に廃棄物の分別程度の認識では足りず、戦略的に環境問題を捉えなければならない。環境問題の学習やめざすべき方向性について全社的に学習プログラムを導入する例もあり、高い学習効果が見込めると思われる。全社的、そして取引先を含めた全体的な取り組みが求められるのである。一般市民は多くの場合、企業の従業員であるから、企業が真剣に環境問題や社会的公正について配慮をするようになれば、市民へのプラスの影響は大きいと思われる。

しかし今までのところ、環境問題の捉え方には、私たちの視点とは大きく異なりやすい。権力構造をそのままにし、技術的な施策で解決していこうという自分にとって都合のよい方針が採られるのが一般的であるため、実際的な解決には寄与しない。常に批判的な指摘が必要なのである。

未来を直視する企業にこそ人が集まる

企業は重要な就労先であることは間違いない。特に青年層にとって、自らの人生を考える上で、どの企業に就職するかは重要な選択であろう。できることなら環境破壊や不正の少ない企業に就職を希望する青年が増えている。

このような時代の流れから今後、環境保全など社会的義務を果たさない企業では優秀な人材を確保できないという問題が生じると思われる。環境対策は21世紀に企業が生き残れるかどうかを決める重要なテーマであることは間違いない。近年の環境教育の高まりから、以前と比べ環境意識の高い新卒者が増えると予想される。彼らはなるべくなら問題の多い企業を選ぼうとはしないだろうし、生き残り戦略に長けた企業を選択するだろう。また一旦就職したとしてもすぐに見放されてしまうかも知れないし、事業に対しモチベーションが上がらないだろう。

世の中が大きく変わろうとしている

 この先それほど遠くない将来に世界はパラダイムシフトを余儀なくされる。拡大成長主義から脱却し、適度な発展、貧しすぎず豊か過ぎない社会へ転換できなければ、大企業文明と共に私たちは終焉を迎えることになる。現在までのパラダイムを金科玉条のように信じている経営者を戴いた企業がこのパラダイムを乗り切ることはおそらくできない。新たな人材を登用できなければ、大きな転換時には対応できない。経営トップの慧眼がなく企業風土を変えることができなければ、人は集まるかも知れないが、おそらく次世代を見据えた優秀な人材は集まらなくなると予想される。

 以上、企業は環境への実際的な影響だけでなく、私たちの日常に深く結びつき、また雇用先としても重要であることから、企業に変革を促していくための対話と活動が継続的に必要である。
(文責:環境・サイエンスライター 小林一朗)

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